2018年7月、西日本をう広域に襲った豪雨は、台風ではありませんでした。
人口差などがあるので被害者数が豪雨のひどさとは比例しませんが、数字で言うと死者は広島県が109人、岡山県が61人、愛媛県が29人です。
死者は出なくてもけがをした人、家や車が水没した人、地域が孤立して恐怖を目の当たりにした人は人数でカウントするものではありません。
この豪雨災害では報道による格差が生まれたことが印象的でした。
真備
倉敷市真備町という言葉、文字は連日新聞やテレビで発信されたため、あたかも被害が真備町に集中しているかと錯覚してもおかしくない状態でした。
特にワイドショーは30分ほどの枠の大半を真備町からの中継などでつないでいたので、西日本豪雨といえば真備町という印象は強かったです。
細かく報道されたのが『まび記念病院』でした。
ひらがなで『まび』ですが、テレビから聴こえる音声は『まび』と連呼するので、ものすごい擦り込みになったと思います。
真備の人に何の罪もない
真備町の人々が被災者であったことは間違いありません。
住宅も床上浸水し、自動車は水にのまれ、大変な被害がありました。
真備町の人が被災したのと同じように、岡山県内でも隣県広島でも、愛媛でも、他県でもたくさんの被害がありました。
しかしながら、救援の手、特に無償ボランティアが真備町に集まったことが、他県市の人にとって残念に思われる結果でした。
真備の人は何もしていません。
報道の偏りが生んだと考えられます。
土日で1千人か、数人か
倉敷市真備町に1千人単位でボランティアが押し掛けて盛況であったころ、広島の報道にものらない静かな町村では数人のボランティアを受け入れていたと言います。
岡山県内でも格差があり、発災1カ月で倉敷市は2.3万人のボランティアが来ましたが、近くの高梁市は0.3万人、井原市は0.03万人、最後まで断水していた新見市はその半分でした。
広島でも土砂崩れが多く、土を掻き出す作業は大変だったようですが、
ボランティアが来ないと
ボランティアに頼れば良いということはまったくありません。
しかしながら、道路や鉄道が寸断された地域では、各戸の土砂撤去よりも公益性が高い箇所から手が回るのは必然です。
広島では呉線と山陽線の被害が大きく、秋か冬まで再開できないという見込みが立っていました。呉線の広駅から先は翌年になる可能性が示されるほどでした。
新幹線東広島駅には、広島市内へ通学する学生がホームに溢れていたのを覚えています。暫定的な新幹線通学です。
地元の建設業者は多忙、遠方から呼べば費用が高くなるため、自力で土砂の撤去をせざるを得ませんが、それほど若い衆が居る地域でもないので苦戦したと聞いています。
呉市で突然の報道過密化
広島県呉市では突然のフィーバーが起こったそうです。
スーパーボランティアなどと称されてたびたび報道に乗っていた尾畠春夫さんが、呉でボランティア活動をしているということで報道陣が集まったようです。
テレビの報道を見ましたが、寝泊まりしているのは車の中、食事はパック御飯を温めずにそのまま『ゆかり』を掛けて食べているといったことがインタビューされていました。
坂町には嬉しい、と迷惑な押し掛け
木村拓哉さん、三宅健さん、生田斗真さんが『坂町』に来られたというSNSが少しだけ流れました。
テレビ報道では『呉市を訪問』となっていたので、坂町に来たというのはSNSの発信を信じるしかないのですが、話題になり、地元の人は大変喜んでいたそうです。
有名人が来たという興奮もあったそうですが、坂町という場所が訪問先として選ばれるに至ったということも、意義深かったようです。
一方で、ある大学の災害を研究するようなところの先生率いる学生集団は、先生による迷惑行為により追い出されたそうです。
その先生は良かれと思ってしたこと、災害研究の権威である私がすることにケチをつけるひどい被災者だ、というような態度だったそうです。
避難所にしても被災者宅にしても、誰かの生活に部外者が踏み込むわけですから、生活者の尊厳は守られるべきかなと思います。
一方でボランティアは奴隷ではないので、意思を持つ事も尊厳ですので、そのあたりのバランスは重要だと思います。
とはいえ、追い出されるような行為はしてほしくないです。
もし自分が被災者になったとき、こちらが嫌だということをするボランティアさんが来てくれたときにどこまで注意することができるのか、追い出す事にならないのか、これは検討する価値がある教訓だと思います。
大阪北部地震
報道や救援のバランスで言うと、大阪北部地震も影響を受けています。
6月18日に発生した大阪北部地震ですが、西日本豪雨が発生して以降はパタリと報道が止みました。
死者が少なかったのは幸いなはずですが、それでも死者ゼロではない災害であったので、それなりに被害も出ています。
地震から2週間が過ぎて死者3桁の災害が起こると、報道はそちらへ、必然的に国民の関心もそちらへ向けられてしまいます。
しかも西日本豪雨は激甚災害に指定、大阪北部地震は違いましたので、復興資金は西日本豪雨の方が大きくなります。
屋根を直す業者さんも大阪から消え去り、どこかへ行ってしまいました。
情報発信力とその維持
西日本豪雨で教訓とすべき大きな点は、情報発信力を身に付けることだと思います。
フォロアー数1千人の人だとしても、地域にそんな人が10人居れば1万人に情報発信できます。
情報発信ゼロよりも格段に効果的です。
まずは現状を知ってもらう事、手助けしてほしいことを明確に伝える事が情報発信の基本だと思います。
そもそも、発信ツールがなければホームページなどに載せても見てもらえないので、基盤が必要になります。
そして、その発信力を維持することも重要です。
わざわざ有給休暇を取ってボランティアに来てくれる人は限られていますので、土日を狙った情報発信の積み重ねも重要です。
ITリテラシーの強い住民
災害対策は年功序列ではなく、適材適所です。
自治会のベテランであっても、自治会事務に強いだけかもしれません。
情報発信で言えば、回覧板を作って来た人よりも、SNSを駆使できる若者の方が発信力は強いかもしれません。
趣味で写真をしている人の撮影能力は、ハイアマチュアレベルとはいえスマホで撮る写真とはまた違った発信力があるかもしれません。
SNSでは拡散されてナンボというところがありますので、魅力的な写真は重宝されます。
災害時には適材適所、今回の教訓から考えるとITリテラシーの高い人を抜擢する器量が求められます。
おわりに
今回は2018年の西日本豪雨について、教訓という視点から振り返りをしてみました。
筆者は大学時代を広島で過ごしたので、西日本豪雨の被災者の中には同級生も居ました。
炎天下、徒歩で通勤して熱中症で倒れた者も居ました。
彼らから聞かれた話に、ボランティアが驚異的に少ない、テレビ報道で真備に数百人の列と聞いて驚くと言っていました。ある週末のボランティアが7人くらいだったとき、真備は報道によると1千人だったそうです。
テレビやマスコミが何を報じるかは彼らの裁量ですので、そこを突いても仕方ありません。
自分たちが、自分たちの状況をどのように発信できるかが重要だと考えます。
ここに書ききれないほど聞かされた話は多くあり、書くべきでもない話も含めて筆者の中にはノウハウとして蓄積されたことはありますが、それらをまとめると『情報発信』が教訓として残された災害だったなと思います。