1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神淡路大震災から28年が経ちました。
あの年に生まれた子は28歳、小6だった子は40歳、42歳の厄年だった男性は60歳です。
相武紗季さん
『こんにちは。相武紗季です。私は9歳のとき、阪神淡路大震災を経験しました。』と始まる兵庫県の動画があります。
1995年に9歳ということは、2023年37歳ということになります。今ではお子さんもいらっしゃる相武紗季さんですが、自身が小学生の頃に経験した地震を次のように語っています。
『すさまじい地震の揺れを、今もはっきりと憶えています』ということですが、当時、その揺れは誰もが経験したことがない揺れでした。
兵庫県出身の相武紗季さんが注意喚起をしている南海トラフ巨大地震については、下記の動画をご参照ください。
南海トラフ巨大地震
いずれは起こる地震として恐れられているのが南海トラフ巨大地震です。
先述の兵庫県の動画でも紹介されていますが、太平洋側の広い範囲で甚大な被害をもたらすと言われています。
内閣府の動画では『出来過ぎ』のような家族が紹介されていますが、この動画が陳腐に感じられるくらい準備しておけると良いと思います。
上の動画でも紹介されていますが、津波が来た時にどこへ避難すべきか考えておきましょう
『南海トラフ地震臨時情報(調査中)』が出ている時点で、とりあえず津波には備えておくと良いと思います。
私宅は兵庫県伊丹市にありますが、伊丹市には津波が来ない想定です。しかし私宅は尼崎市に隣接するような地域であり、尼崎市には津波を想定した避難所があります。
私宅から最寄りの指定避難所である伊丹市立の小学校まで500mほど、尼崎市立の中学校まで400mほどです。
伊丹市立は津波は指定外なので入れません。尼崎市立は津波指定ありなので、津波の恐れがあれば入れます。
生命を守るためには、伊丹市民ですが尼崎市立中学校に避難させてもらうしかありません。
直下型
阪神淡路大震災は直下型地震でした。
国内でもたびたび発生している直下型地震には、断層が関係していることがあります。
神戸市によると、下図のように断層が確認されているようです。
大阪ですと、上町断層が良く聞かれます。
私宅がある伊丹も影響を受ける範囲にあります。
詳細に見ていくと色々とありますが、大阪の断層の影響を受ける可能性もあるし、兵庫の断層が真下で動く可能性もあるということで、直下型地震は不可避だと思います。
追悼のしかたを考える
阪神淡路大震災で近親者を失った方にとっては1月17日は特別な日だと思います。
筆者は誰も失いませんでしたが、先代は倒壊した家屋に生き埋めになり、近所の方々に助けて貰ったので追悼よりも、感謝の日という印象が強いです。
亡くなった方々を悼むにふさわしい日ではありますが、人間ですのであの日の記憶は少しずつ薄れ、震災を経験した人がこれまでにも何十万人か何百万人か、亡くなっていると思います。
『風化させない』という言葉をよく耳にしますが、どのようにして風化させないのか、何を風化させないべきなのか、今だからこそ考えるべきことは何なのか、改めて検討するのにも良い日だと思います。
筆者の居る伊丹、この記事を書いている場所は以前、古い家屋がありました。今は写真すら残っていないのですが、1995年1月17日早朝に倒壊し、無くなりました。
あの日を生き延びられたから大丈夫だと豪語するご近所さんも居ますが、あれから28歳も年齢を重ねたことで、世に言う高齢者の仲間入りをした方々が、大丈夫だとおっしゃっています。
子供の運動会で、脳内のイメージでは走れているのに足がついてこないで転倒するお父さんを見かけますが、イメージ通りにはことが進まないことをご理解いただかないと、この地域は壊滅的被害を受けると思います。
建物も28年分の老朽化が進んでいます。
1995年に倒壊しなかった建物も、だいぶガタが来ていますので、安全神話は通用しないことを地域全体で考えられればと思います。
亡くなられた方々が、どのようなストーリーを持って亡くなったのか、そこを知る事が30年目を迎える前の仕事ではないかと思います。
PDDとは、簡単に言うと平時の医療水準であれば救い得た災害死という意味ですが、このあたりの考えを持って追悼をしたいと思っています。
もしかすると『バールさえあれば』『水を口にできれば』『毛布があったら』という、平時であれば2~3千円で買って来れるものが生死を分けたとすれば、高い保険金を掛けるよりも平時に2~3千円の買い物をしておくことですくい得る命があったことになります。
筆者の地域では350世帯の自治会に対し、空き缶回収などで年間35万円くらいが収入としてあります。いまは幹部の飲食や遊興費に充てられていますが、これを防災に回せば毛布が2千円の毛布が毎年200枚くらい買えます。ロープやハシゴ、バールなども買えます。多くの生命を救い得ることになるので、目先の飲食に一部の人が使うのはやめてもらいたいです。
神戸市内には多くの遺族が居られます。
おそらく、目の前でお亡くなりになった方々を見た人も少なくないと思います。
『アレさえあれば』の話を聞く機会に、1月17日が使えると良いなと思います。
人と防災未来センターへ行っても机上の空論を語れる人は見かけますが、生々しいところをご存知ない人でもあったりします。
有名な兵庫県立大学の先生が、被災地に言って威張っている姿を、現地の役所の方から聞いたこともあります。
現実を見て、被災者のためになることをしてほしいのですが、自身の業績が第一のようです。
2023年の1月17日はこのような想いはあっても何もできずに迎えていますが、2025年1月17日は堂々と迎えられるように、努めていこうと思う1月17日になりました。
画像アーカイブ
神戸市のデータベースから何枚かお借りします。リンクを貼っているだけなので当サイトにはデータがありません。リンク切れの際は神戸市のウェブサイトをご参照ください。
建物が傾くというのは、この阪神淡路大震災を見て知ったような気がします。
頑丈なビルが簡単に倒れてしまう様子は、信じがたいものでした。
ビルは傾くという状態で止まることが期待できますが、木造は同じエネルギーを受けても崩壊するということがわかります。
川で洗濯をしたことが無い人にとって、本当にするのかと思ってしまうかもしれませんが、インフラがこれしかないので仕方ないです。
1月の冷たい水に手を入れ、作業しているのだと思います。
川岸に降りるための足場は、土嚢を積み上げて簡易的な階段を作っているようですが、これも崩れかけているので、多くの人が利用していたのだと察します。
学校の体育館は避難所となるだけではありません。
教室としても使われるので、避難所から退所できるようであれば、早く空けてあげることで教育環境が整備しやすくなると思います。
この大変な状況下でも習字をして、皆の書いたものを掲示しているあたりが日本の教育のすごいところかなと思いました。
ここに映っている児童は今日の時点で35~40歳くらい、小学生くらいの子供がいる世代になっています。当時のことをどう語り継いでいるのか、あるいは口にしたくないのか、ご本人にインタビューしてみたいと思いました。